安全地帯という幻想 

数日前、風の強い、天気の良い昼下がりのこと、事務所の窓から何気なく見た青空に、強い風を物ともせず、小さな黒い影が、スッと浮かび上がるように動いた(ように見えた)。

反射的に、「凧だ。誰かがこんな平日の昼間から凧を揚げている!」と思った。「クソー、絶好のコンディションじゃないか。俺も凧揚げしたい!」
一瞬の間ではあったが、そんなのんきなことを考えつつ、その小さな黒い影をよく見ると、何のことはない、自衛隊のヘリコプターだった。強風を物ともしないのも当たり前だ。

事務所のある四谷から、自衛隊の市ヶ谷駐屯地は目と鼻の先で、確かに、よくへりが上空を行き来していたっけ。
一瞬で、盛り上がった気持ちが冷め切った。


12月9日、「政府」は、イラクへの自衛隊派遣を一年延長することを決定した。これに先立って、国会が十分な論議もせず、閉会してしまったことには本当に驚いた。
自分自身、日常の動きの中に埋没して、いま何をすべきか、身構えることすらできなかったことが悔しい。

白状すると、自分自身の心の中にも、「もしかしたら、何事もないまま一年が過ぎ、何となく自衛隊が帰ってくるような甘い期待」がどこかにある。そのような錯覚を抱いている人は、少なくないのではないか。本当は、そう言う問題ではないはずだ。むしろ、その錯覚こそが大問題なのだ。


今年10月、香田さんがイラクで拘束されたとき、マスコミ等を含め、香田さんの行動が不用意で無防備だったとして、「真面目な気持ちであることはわかるが、安全なところで、テレビでも見ていれば良かったのに」という論調が幅をきかせているように感じた。

このような菅波のとらえ方自体が屈折していると言われるかもしれないが、「安全なところ」が存在し、「そこに身を置いていればよい」というような論調に、菅波は強烈な違和感を感じた。

日本は、自衛隊をイラクに派遣し、アメリカを中心とした一方的な占領統治と武力介入に積極的に荷担している。そのことを棚に上げて、「安全なところに身を置いておけば良い」というのは、許されないことだと私は思う。

おそらく香田さんを突き動かした想いも、これに通じるところがあるのだと思う。
確かに、香田さんがもっと用心深く行動したら、結果は違うかたちになっただろう。
しかし、香田さんが、あのようなかたちで、イラクに足を踏み入れたことによって、日本という国が、この問題の中で、どのような位置にいるのか、その距離感がはっきりしたのではないか。

私は、香田さんは自分たちの身代わりになってくれたように想えてならない。(甚だ不遜な言い方かもしれないが)
逆に言えば、香田さんの死に直面した私たちは、せめて自分たちが問題のどこにいるのか、ということを真剣に考え直すべきだと思う。

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