いま「市民セクター」に必要なものは、サポートか、それとも弾圧か? 

日本NPOセンターなどが主催する、「市民セクター全国会議2006」(の一日目)に参加してきました。

この企画のねらいは、「市民セクターがより社会的な存在感を増し、市民からの期待に応えられる力を発揮していくために、その性質あるいは機能について、「民間」、「変革」、「連帯」をキーワードに本質的な価値や力を再認識し、今後への展望をみなさんとともに見いだしていきます。」(当日プログラムより)とされています。

菅波としては、高木基金で「市民科学」の推進を目指し、それを生業としていますし、自分自身が、諫早湾干拓の問題などで、行政セクターへのオルタナティブを提起する活動を行ってきています。最近は、企業のCSR活動の動きを、市民活動につなげる活動も模索しているところですが、その意味で、現在、「市民セクター」ですすめられいる活動等の到達点を確認したいという思いで、この企画に参加してきました。

しかし、二日間の初日である今日の「基調講演」および「キーコンセプトセッション」を聞く限り、果たしてこれが、「市民セクター」の到達点なのだろうか、という印象です。





「基調講演」は赤瀬川原平氏、「キーコンセプトセッション」では、「民間」、「変革」、「連帯」という三つのキーワードについて、三名の方が話されました。

赤瀬川氏の基調講演は、氏の「一貫した反骨精神とアバンギャルドな姿勢を感じ取り、市民セクターもまた社会にノイズを発信する役割を持つことの再認識と新たな視点の発見を期待します。」(当日プログラムより)という趣旨で企画されたもののようですが、今日の基調講演で紹介された、「路上観察」や「老人力」などに関する赤瀬川氏の着想や発言は、今、市民セクターが学ぶべきものとは思えませんでした。

「市民セクター」なるものを位置づけるとするならば、それに対応する「行政セクター」や、「企業(あるいは営利)セクター」と対峙するだけの、理念や実践能力があることが前提だと思うのですが、今回の企画においては、「市民セクター」を議論するに足る、必然性の確認が欠けているように思いました。
今日の話を聞く限り、赤瀬川氏の反骨精神や、そこから発信されるノイズは、「行政セクター」や、「企業セクター」に影響を与える程のものかどうか、疑問です。

今年で、日本NPOセンターが10周年を迎えたとのことで、今日のセッションの前後で式典なども行われたようですが、「市民セクター」というものを社会の中にどの様に位置づけるかという点が、あいまいになっているのではないでしょうか。
全国で数多くのNPO法人が活動し、行政や企業との連係も活発になっていることは事実ですが、そのなかで、必然性や位置づけがあいまいな活動が増えてきていることの裏返しが、この企画の状況ではないでしょうか。

先に挙げた、当日プログラムの趣旨説明で「市民セクターが・・・市民からの期待に応えられる力を発揮していくために」という表現もありますが、市民セクターとは、市民が自発的に活動することそのものを指すのであり、市民セクターが市民からの期待に応えるとか、応えないという文脈自体がねじれたものになっているように思います。

「キーコンセプトセッション」も、どうにも煮え切らない話で、不満が残りました。
企画の案内文を見たときから、どうも「主語」があいまいで、わかりにくいという印象を持っていましたが、このセッションの話が、まさにそうでした。

発言をされた三名の方とも、それぞれ「市民セクター」で積極的に活動しておられる方でしたから、もっと、一人称で語った方が良かったのではないでしょうか。
「市民セクター」では、「中間支援組織」などという言葉がよく使われますが、企画全体が、中間支援組織の視点に偏っているようで、そこが小生にとっては不満でした。
(他の参加者には、その方が分かりやすいのかも知れませんが)

本来、「市民セクター」の活動というのは、市民が自発的に、自己実現的に、社会的な問題解決等に取り組むものだというのが菅波の理解です。

現実には、何をやるべきか分からなっていくとか、行政からの委託を受けるために、本来のミッションから、活動がずれていってしまうという問題があることは理解していますが、その様な、方向性を見失った話に軸足が置かれてしまったために、話が煮え切らないものになっていたのではないでしょうか。

「民間」、「変革」、「連帯」というキーワードは、どれも重要なものだと思います。
二日間の企画における、問題提起のセッションとしては、「市民セクター」が目指すべき、本来あるべき方向性について、軸足を定めて語っていただいた上で、課題等を示すようなかたちが良かったのではないか、というのが小生の感想です。

この、「キーコンセプトセッション」の冒頭では、進行役の方が、「このセッションの発言者、進行役は、みな40代で、上からは、「40代は覚悟が足りない」と言われています・・・。」と自信なさそうに話しておられましたが、現場でバリバリやっている(はずの)40代の人が上(大先輩というか、ロートルというか・・・)からこんなことを言われて、黙っているようでは、あまりにも寂しいですね。

小生なら、「バカにするな!ふざけるな!」と反発します(たとえ泣かされても)。それくらいの覚悟がなければ、高木仁三郎さんの残してくれた基金から、給料をもらうことなどできません。

「市民セクター」で活動をし、それを仕事とすると言うことは、行政セクターや企業セクターと互して、それに負けない、質の高い仕事をする、と言うことであるはずだというのが、菅波の考えです。その様な気合いの入った話を、二日目に期待したいところです。

翻って、高木基金が助成をしているみなさんの調査研究活動などは、本当に意義ある「市民セクター」の活動だと言うことを、あらためて感じました。


結局、NPO方などができて、行政や企業が市民活動をサポートしてくれるような社会になったことで、「市民セクター」の足腰が弱くなってしまったと言うことはないでしょうか。

高木仁三郎さんの原子力資料情報室や、先日、亡くなった宇井純さんの自主講座は、現在のような、社会的なサポートがない中で、むしろ弾圧を打ち破って、社会的に極めて意義のある成果をもたらしました。

本当の意味で、「市民セクター」を強くするのは、行政や企業のサポートではなく、弾圧ではないか、とまで言うと、言い過ぎでしょうか?
しかし、日本以外の国の、市民セクターの活動(例えば民主化運動)などを考えたとき、今回の企画に漂うナイーブさは、かなり異質なものだと思いました。


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